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展覧会・イベント

2011年10月11日(火)-11月12日(土)

甦る昭和彫刻の史実!

清水多嘉示資料展 第II期

昭和の記録-清水多嘉示の道程:敗戦まで

美術館 終了

帰国後、帝国美術学校設立に参画し、太平洋戦争をはさんで昭和を生きた美術家・教育者としての清水の活動を展示する。

会期
2011年10月11日(火)-11月12日(土)
時間
10:00-18:00(土曜日:17:00閉館)
休館日

日曜日、祝日

入館料

無料

会場

武蔵野美術大学 美術館展示室1

主催

武蔵野美術大学 美術館・図書館

共催

武蔵野美術大学共同研究「清水多嘉示の美術教育について」

協力

岩崎恵子、青山敏子(清水多嘉示ご遺族)
篠崎未来(国立文化財機構東京文化財研究所 非常勤職員)

企画構成:
黒川弘毅 (武蔵野美術大学 彫刻学科教授)
井上由理 (八ヶ岳美術館 研究員)

お問い合わせ

お問い合わせフォームからお送りいただくか、下記までお問い合わせください。

武蔵野美術大学 美術館・図書館
電話:042-342-6003
Eメール:m-l@musabi.ac.jp

本展覧会は今年7月より開催された「清水多嘉示資料展」の第II期となり、パリから帰国した清水多嘉示が本学の前身である帝国美術学校の設立に参画した1929年から、1945年の太平洋戦争終結までの資料を展示します。

本展示は、戦争に関係する自らの記録資料を、清水が廃棄することなく残したことの意味を現在に問うものです。本学共同研究「清水多嘉示の美術教育」報告書『清水多嘉示 資料/論集Ⅰ』収録の井上由理(八ヶ岳美術館研究員)による研究が展示構成の基本となります。

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中央下段が清水多嘉示

見どころ

出品作品

清水資料について

清水没後、遺族は遺された作品、文書、蔵書などの資料を散逸させることなく保管してきました。これらの資料は形式的に以下のように分類できます。

I.作品資料
 揚子江流域における従軍の足取りを追うことができる水彩画、「海の荒鷲」「南昌 制覇」等の記念碑に関する構想スケッチが主軸を構成します。また、代表作の一つに挙げられる「千人針記念碑」「測地」の石膏原型を修復して展示します。

II.文章資料
 帝国美術学校の関係者や院展・国画会などの美術家たちのほか、軍人を多く含む従軍・戦争記念碑の関係者からの豊富な書簡類、戦時体制下における美術の動向 を生々しく示す草稿類を展示します。

III.写真資料
 従軍画・戦争記念碑などの作品制作のための資料として撮影されたものを多く含み、戦後失われた「海の荒鷲」などの作品写真や時局下の展覧会記録として貴重な 写真を展示します。

展示について

1)本展覧会で取り上げる1929年〜1945年は1939年を境に次のように分けられます。

 [前期] 1929年の帝国美術学校設立から1939年の国画会脱退まで
  清水は帝国美術学校彫刻科でパリで学んだブールデルの教えを教育の場で実践しました。また、清水は、院展だけでなく、1931年からは国画会へ出品し、翌年に会員となりました。1939年には、本郷新・柳原義達・佐藤忠良・舟越保武等、その後、新制作と共に同会を脱退しました。この時期は、清水が「新興」美術運動を体現していた時期にあたります

 [後期] 1939年の国画会脱退から1945年の終戦まで
  国画会脱退後、清水は新制作に参加せず、新文展に出品しました。1939年、清水は「海軍従軍画家」として揚子江上流へ従軍。「従軍画家支那風物展」「紀元二千六百年奉祝展」「第2回聖戦美術展」などに絵画や彫刻を出品しました。1942年に結成された生産美術協会には発起人として理事に就任し、翌年「大東亜建設文化工作における彫刻の役割」立案を試みます。日中戦争期と太平洋戦争期からなるこの時期の資料は、国家総動員法施行下における一人の彫刻家の実相を映し出しています。

2) 第II期では、昭和の記録を以下の4本の柱に分けて展示します。
 「帝国美術学校に関するもの」
 「院展・国画会・大乗美術会・新興美術協会・新文展などの展覧会・団体に関するもの」
 「帰国から翼賛/戦時体制下に至る作品制作に関するもの」
 「社会活動に関するもの」

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