2015年11月24日(火)-12月19日(土)
池田良二 — 静慮と精神の息吹
美術館 終了
モノトーンの純粋平面の中に静慮された形象を定着させる池田良二の銅版作品は、複数の版画技法を精確に用いることによる透徹した版表現によって、現代版画の地平を開いてきた。初期作品から現在に至るまで銅版画を中心に作品の全容とその軌跡をたどる。また陶芸や木工など版画以外にも展開する多才な一面に触れる。
- 会期
- 2015年11月24日(火)-12月19日(土)
- 時間
- 10:00ー18:00(土曜日、特別開館日は17:00閉館)
- 休館日
日曜日 ※12月13日(日)は特別開館
- 入館料
無料
- 会場
武蔵野美術大学美術館 展示室3
- 主催
武蔵野美術大学 美術館・図書館
「記憶の奥底に閉ざされた、限りなく静かで美しい、そして忘れがたい光景を呼び起こす、モノトーンの銅版画」
このたび、武蔵野美術大学 美術館・図書館では「池田良二ー静慮と精神の息吹」を開催いたします。
銅版画家、池田良二氏は、1947年北海道根室に生まれ、1965年武蔵野美術大学に入学し山口長男や野見山暁治のもとで絵画を学んだ後、1975年独学で銅版画制作を開始し、時を置かずして国内外のコンクールに出品する中で頭角を現すようになります。
70年代の「à/avec Antoni Tàpies」シリーズ、80年代の「Note-two square」シリーズ、80年代後半以降続く「原風景」をテーマにした作品群、2000年以降の「円環」をモチーフにした一連の作品と、時代ごとに特徴が変遷するなかで版表現を拡張させながらも、自身に内在する根源的形象を探る求道者のごとく作品を純化させていきます。一方で、81年文化庁派遣芸術家在外研修員としてイギリスを中心に留学、94年以降アルバータ大学客員教授として度々カナダでの長期滞在など、海外における作品制作は銅版表現を深化させるだけでなく、新たな作品へと展開する転換点となりました。池田氏のフォトエッチングを中心に複数の銅版技法によって作り出されるモノトーンの静謐で緊張感ある銅版表現は、海外で高い評価を得て、ソウル国際版画ビエンナーレ大賞(1990年)を受賞。国内でも、タカシマヤ美術賞(2003年)山口源大賞(2005年)などを受賞、2009年には紫綬褒章を受章しました。
本展では、初期の版画作品から現在に至るまで、新作を含めて約60点の銅版作品を中心に紹介いたします。透徹した版表現によって、静慮された形象をモノトーンの純粋平面に描き出すことで、現代版画の地平を開いてきた池田氏の航跡を辿ります。また、書籍やポスターの原画などから銅版画表現の広がりを紹介し、さらには陶器や木工芸、茶道関連へと展開する多才な一面にも触れます。
(1)池田良二作品を4つに分けて、時代ごとにその変遷を通覧します。
Ⅰ「 開帆」(1975~1984)
銅版画制作の素地を形成 −アントニー・タピエスへのオマージュ、イギリス留学
Ⅱ「 還元と構築」(1985~1993)
原点の回帰と現在まで続くテーマの錬成と構築 −旧落石無線送信局の発見
Ⅲ「 遷移と展開」(1994~2003)
思索の堆積による表現の深化と版表現の展開 −カナダでの作品制作そして回顧展開催
Ⅳ「 拡張と連接」(2004~2015)
拡張する銅版画の巧知、連接する領域への意識 −落石計画と茶道の漸悟
(2)銅版画作品以外の作品制作や多彩な活動の一端を紹介します。
- 銅版画集、詩画集、ポスターの原画、本の装画などへの銅版画作品の展開
- 作品が創り出される現場、2つのアトリエ「プリントスタジオKafu」(武蔵村山市)「落石スタジオ」(旧落石無線送信局跡/根室市)と、版画制作における道具について
- 陶芸作品、木工芸など茶道関連
見どころ
出品作家紹介
池田良二(いけだ りょうじ)、銅版画家、武蔵野美術大学 油絵学科版画専攻 教授
1947年北海道根室に生まれ、1965年に武蔵野美術大学に入学し山口長男、野見山暁治のもと絵画を学びます。1975年、モノ派の運動を起こした吉田克朗や本田眞吾との出会う中で銅版画を独学で修得しながら作品制作をスタートさせます。日本だけでなく海外でのコンクールにも出品し、その頭角を顕すようになります。同時にフォトエッチングを主に用いた緊張感ある静謐なモノトーンの銅版表現によって池田独自のスタイルを築いていきます。また同時期、埴谷雄高や岡田隆彦などとの出会いによって版画家としての道が決定づけられます。
70年代後半から始まるアントニー・タピエスをオマージュした「à/avec Antoni Tàpies」シリーズでは、人物や情景との心情的関係への意識のもとシンボルや物語性に目を向けます。80年代中旬から始まる「Note-two Square」シリーズではイメージを作ることを否定し行為(線描)と作用(腐蝕)に徹することで版画における思考方法を高めていきます。その語法は現在に至るまで版表現のなかに脈流するとともに錬成され続けます。
80年代になると、国際展に出品する一方で頻繁に国内の美術館でも紹介されるようなります。また81年から文化庁派遣芸術家在外研修員として1年間ロンドンを中心に渡欧します。帰国後は国内外の版画展に出品し多くの賞を得るなど活躍する中、武蔵野美術大学でも教鞭を執りはじめます。
一方で、留学中スペインでのタピエスとの対話以降、作品制作における形而下の問題として自身の原風景(生地)にイメージの源泉を求めるようになります。85年母の死別と時期を同じくして、日本の最東岸に位置する無線局として様々な歴史的出来事に立ち会ってきた旧落石無線送信局(北海道根室市)との会遇がありました。この無線局は、故郷の原風景における空間と領域、時間と存在などをテーマとする80年代後半以降の作品の中で、一つの象徴的なモチーフとして現在まで作品の中に顕れ続けることになります。
94年からはアルバータ大学の客員教授としてカナダに度々滞在し、カナダやアメリカを中心に作品制作や展覧会を行います。カナダでの作品制作では、自らインスタレーションを行い、それを撮影した写真を作品の中に用いることで、モチーフを拡張させると同時に情景を創出することで版表現の中により深い表現性を見いだしました。さらに2004年以降、「円環」という抽象的形象をモチーフにした一連の作品が作られるようなります。
このように情景における時間・空間などを基礎的形象としながらも版画表現においては超越的な表現性を獲得しく一方で、池田の思考の堆積によって内部にとどまりながら純化していきます。つまり表現領域を拡張し続けながらも、一定の振れ幅の中で銅版表現の核心へと収束していったともいえます。
2000年代になると神奈川県立近代美術館などで回顧展が開かれるようになると同時に、これまでの功績が認められタカシマヤ美術賞(2003年)山口源大賞(2005年)などを受賞、2009年には紫綬褒章(2009年)受章しました。一方で、自身がこれまで作ってきた版画以外の制作(陶芸・木工芸など茶道関係)なども自身の作品制作の一環として思考するようになり、版画制作を含めて茶の東洋的価値観に裏付けされた総合芸術としての在り方を思考するようなります。また2008年から毎年夏に北海道根室の旧落石無線送信局跡(池田スタジオ)を会場に「落石計画」というアート・プロジェクトを実施するなど新たな展開を見せます。