2009年6月8日(月)-6月29日(月)
6月14日(日)は開館
新国誠一の《具体詩》
詩と美術のあいだに
美術館 終了
- 会期
- 2009年6月8日(月)-6月29日(月)
6月14日(日)は開館
- 時間
- 10時00分-18時00分 (土曜、日曜開館日は17時00分まで)
- 休館日
日・祭日休館(ただし、6月14日(日)は開館)
- 入館料
無料
- 会場
武蔵野美術大学美術資料図書館1階展示室
- 主催
武蔵野美術大学美術資料図書館, 国立国際美術館
詩は文学の一ジャンルでありながらも、紙上の文字配列の空間性が考慮され、また朗読が重視されるという点では、美術や音楽ともかかわりを有しています。1950年代に世界各地で台頭したコンクリート・ポエトリー(具体詩)は、そうした詩における視覚的な、また音響的な表現の可能性を探究しようとした運動でした。ドイツやフランスやブラジル、日本などで、ほぼ同時期にコンクリート・ポエトリーの作家たちが現れた背景には、既存のジャンルの規範を乗り越えようとする前衛的潮流に加えて、印刷技術の進歩やタイポグラフィーの多様化があったように思われます。国際的運動としては1970年代に終息しましたが、その命脈はグラフィック・デザインの世界に受け継がれており、また最近では現代詩の一つの原点として、改めてその精神や実験性を評価しようとする機運が見られるようになっています。
仙台に住んでいた新国誠一(にいくに・せいいち、1925~77年)は、1950年代の半ばに独自にコンクリート・ポエトリー的表現の可能性を見出し、ラディカルな詩的実験を始めました。上京して1963年に詩集「0音」(ぜろおん)を上梓したとき、新国誠一は自らを日本の近代詩における正統と位置づけていましたが、海外の動向を知るうちに目指す世界のあまりの類似に衝撃をうけ、国際的な運動に身を投じるようになります。
1964年には「芸術研究協会(ASA)」を結成し、同名の機関誌を発行しながら世界各地の展覧会に参加し、また巡回展の日本招致を実現させるなど、日本における第一人者として短期間に濃密な活動を展開していきました。
1977年に52歳の若さで亡くなったあと、新国誠一の名前は半ば忘れられ、1980年に夫人である新国喜代氏より当館に関係資料が寄贈されたものの、その後本格的な再評価の機会はありませんでした。本展は当館に寄贈された資料を中心に構成し、単なるコンクリート・ポエトリーの先駆者としてばかりではなく、日本の文化的風土のなかでユニークな作品世界を切り拓いた新国誠一の詩学を、初めてまとまったかたちで紹介するものです。それはこの孤高の作家の顕彰であると同時に、詩の世界の固定観念を越えた豊穣さを私たちに印象付けてくれるに違いありません。
※本展は、2008年12月6日~2009年3月22日まで、国立国際美術館(大阪)で開催された「新国誠一の《具体詩》ー詩と美術のあいだに」の巡回展となりますが、大阪会場では出品されなかった手書き作品も展示いたします。